松斎録

中国古典詩学に興味があります。

『漢詩創作のための詩語集(大修館書店)』書評

昨今、本邦では斯文の道が廃れようとしている。李白ならば、「大雅久不作(古詩 其一)」とでも言いそうなほどでもある。そのような状況であるから、22年の夏にこの『詩語集』が刊行されたことは、作詩する人々が歓喜したに違いない。しかし、刊行の報とほぼ同じくして、同書の監修者である石川忠久氏が亡くなられたことを耳にした。ここに哀悼の意を表する。

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さて、商業出版では、2020年に川田瑞穂『改訂新版 詩語集成(松雲堂書店)』が刊行されたことに続いて、この『詩語集』が世に出された。なお、詩語集(一般的に、詩語表とも表記することもある)は、古本や同人などでは数が存在するが、部数が少ないのもあり、詩語集を必要とする人々に手に取りにくい状況にあった。とくに、作詩を志す初心者や中級者の階梯としては、非常に大きな役割を果たすのである。

 

詩語の部門の立て方としては、春夏秋冬の「歳時」の類いに始まり、「情景」、「人事」、「雑」などと続く。やや伝統的な大部門であるが、そのなかの小部門が非常に革新的である。例えば、地名の大部門の中をみると、中国、日本のほかにアフリカやオセアニアといった小部門がある。まるで、明治初期の現代のものや新しいものを取り入れようとする姿勢に似ている。全体的にそのような分類が多く、非常に驚く限りである。中国古典詩を作ることは、伝統が非常に強いものであるから、そこから抜け出そうとする努力に、一種の識見が感じられる。

 また、詳細な索引をつけたことも、恩恵を与えている。ともすれば、伝統的な詩語集というのは、部門毎の目次のみのことが多く、使いにくい一面があったからである。そのため、様々な索引で詩語に当たることが出来るのは、画期的である。

 次に採録されている詩語を見ると、二字の語は多い。しかし、平声の韻を踏む三字の用例が若干少ないうえに、一韻到底の詩を作ることがやや難しい。ここは、一東なら一東、二冬なら二冬といった三字句をもう少々増やすべきであった。

また、詩語の来歴が気になる所ではある。参考文献を見ると、『唐詩選』や『三体詩』といった選集ばかりで、かつ『唐詩選』はとくに毀誉褒貶が激しいものである。ここに偏りが生まれるのではないだろうか。また、見るならば、『全唐詩』を見て、初唐から晩唐までまんべんなく、参考にすべきだが、『全唐詩』を参考にした記述は見当たらなかった。

では、『全唐詩』も異同がある上に膨大であるから、個人の別集ごとに見るのもよいのだが、杜甫李白白居易など代表的詩人の別集を見たとの記述はなかった。『唐詩選』や『三体詩』から詩語を取ったのかもしれないが、これは少々疑問である。むしろ別集を参考にしたほうがテキストも良い上に、満遍なく、全体的に見ることができるため、信用度が高いといえる。

そのような姿勢がこの『詩語集』には見られなかったのは、瑕疵と言っても良い。そのうえ、宋や明清の詩語を見た形跡があまりないのである。これは、唐詩の比重が高い本邦の流れに沿ったものと考えられる。しかし、これは筆者が宋詩を専攻している事情があるからかもしれないが、やはり、満遍なく採るべきであったと筆者は考える。大型の詩語集でもあるから、唐詩偏重にならずに、時代に限らず、最適な詩語を選ぶべきである。

なお、参考文献に、オンラインデータベースの「捜韻」や清代に編まれた『佩文韻府』を見たとあるので、そこから採録したのであろうか。だが、迂遠な文献の当たり方であることは否定できない。宋代であれば、これもまた膨大ではあるものの『全宋詩』といったもので良いし、蘇軾や陸游王安石などの代表される別集を見て、参考にしても良かったのではないであろうか。つまり、どの文献を、どのように見たのかという部分が欠けているのである。

また、監修者の詩集を参考にしたとも書いてあったが、結局監修者の詩の語も来歴があるわけであり、その伝統の上に監修者であっても成り立っている。もし敢えて参考にするならば、確固たる根拠の明示が必要であろう。これでは、監修者に阿ったという追及を受けることになるのではないだろうか。

以上、個人的な理想論を含めて述べた。ただ、詩語集に新しい部門を建てたといった点などは、大いに評価すべきである。

(石川忠久監修『漢詩創作のための詩語集』・大修館書店・2022/07出版)